キャブ株式会社 C.A.B.CLOTHING CO.,INCRECRUITING 2019

ENTRY

挑 戦 の 軌 跡 C.A.B., History of Challenging

企業が存続するためには、
変化する社会環境や顧客要望に
応えていかなければならない。
キャブが今、存在しているのは、
常に最善の製品・サービスを創造しようという
“挑戦”を続けてきたからに他ならない。
キャブをより深く知るために、
3つの“挑戦の軌跡”をみてもらいたい。

覚悟の転換。
「受注生産」から、
「在庫型」ビジネスへ。C.A.B., History of Challenging

ミリタリーブームの終焉と、新しいビジネスの兆し。

 キャブは、プリント加工を前提とするウェアを供給するボディメーカーである。このビジネスモデルに行き着くまでには、創業から長い紆余曲折があった。
 昭和5年、帝国陸海軍及び逓信省放出品の入札業者として創業。終戦後は米軍放出品の入札業者として再開し、後にアパレル業を開始。昭和40年には国内に自社工場を建て、カジュアルウェアを地方問屋や、古着屋、商店街の小売店に卸していた。
 90年代に起きたミリタリーブームでは、MA-1を代表とするフライトジャケットをリプロダクトし、販売した。本物の古着のMA-1は10万円以上したが、細部にこだわっていて価格も2万円程度というキャブのレプリカは飛ぶように売れた。しかし、レプリカのマーケットは飽和し、収束していく。主要顧客である地方問屋は次々と倒産。売り先がなくなれば、当然売上も大きく落ち込む。ところが調べてみると、売上が下がっていないジャンルがあった。それが、無地のTシャツやトレーナーだった。
 「プリント加工を前提とする半製品」としての需要に活路を見出し、ボディメーカーとしての一歩を踏み出した。

ミリタリーブームの終焉と、新しいビジネスの兆し。
東京本部長 寺本雄司は、キャブのいい時も悪い時も知る男。「転換期の渦中では、これから先のことに真剣で、苦労だとか感じている暇がなかった。ボディメーカーになったのも、始めから方向性が決まっていたわけではなく、お客様の声を現場で聞きながら、ビジネスモデルを形にしていったのです」

“在庫は悪”から、在庫ありきの商売へ。

 しかし、まったく異なるビジネスモデルに、当時営業だった東京本部長の寺本雄司は戸惑ったと言う。「それまでは、展示会で受注した数量に見込み数量を上乗せして生産をしていて、納期は『3ヶ月~4ヶ月後』というゆるいものでした」営業に行けば、その日に注文を受け、オーダー書に記入しながら、売上がいくら立つか見当がついた。しかし、プリンタブルボディは、エンドユーザーの需要がいつ発生するかわからない。エンドユーザーが「イベントでプリントTシャツを使いたい」と言えば、間に合うように手配できなければいけない。

 注文を受け在庫をいかに売り切るかに注力する営業から、顧客が困っていることを聞きに行く営業へ。「サイズがない」「色が少ない」「在庫がない」様々な要望に応えていくうちに、常に豊富な在庫を持ち、いつでもオーダーに対応できる体制へと変わっていった。商品についてきちんと説明してサンプルを渡すと、顧客がエンドユーザーにキャブの商品を勧めてくれる。そして、必要とされた時に、FAXやインターネットでオーダーが入る。最終的にキャブの製品を使うという意志決定するエンドユーザーとは直接話していなくても、顧客とコミュニケーションが取れていれば、キャブの商品を選んでいただける、B to B to Cのビジネスモデルができあがっていったのだ。

“在庫は悪”から、在庫ありきの商売へ。

どこよりも高い品質を
安定した価格で
供給するために。C.A.B., History of Challenging

“指示してもやってくれない”からのスタート。

 ボディメーカーへ舵を切るという決断は、生産管理にも大きな影響を与えた。それまで商社に生産を依頼していたが、商品単価の低いTシャツへ移行するにあたって、自社でL/C(貿易に必要な信用状)を開設して、直接輸入をしようということになった。商社に支払っていたマージン分安く仕入れられるが、同時に商社任せにしていた生産管理を自分たちで行い、品質を自社で保証していかなければならなくなった。そこで専任として白羽の矢が立ったのが、品質管理部 吉村知明だった。
 キャブの生産の主戦場は、今も昔も中国だ。協力工場ではいろんな国、いろんな会社の商品を生産している。品質を気にせずとにかく大量発注する会社が、その工場の取引高ナンバーワンであれば、それより厳しい日本の品質基準で作ってほしいとお願いしたところで、口ではやると言っても、実際にはなかなか実行に移してくれない。例えば、「検品台の明るさが足りないから、蛍光灯を取り付けて」という要求ひとつとっても、1回では改善されない。できるまで言い続ける。こちらの本気を伝える。そうして、ある程度お客様に認められるようになる品質を出せるまで約3年かかった。

業界でも例を見ない、品質管理専門会社の設立へ。
吉村(前列中央)は生産に関して誰かに教育を受けたことはない。知識はすべて現場のたたき上げで得たもの。今も月1~2回は中国へ出張。スタッフとのコミュニケーションの大切さは日本でも海外でも変わらない。

業界でも例を見ない、
品質管理専門会社の設立へ。

 「お客様に喜んでもらえる商品を提供し続ける」それが品質管理のミッション。そのために、吉村が社長に直談判したのが、品質管理を専門に行う現地法人の設立だった。2009年に50万枚の品質事故を起こしたことをきっかけに、不良品を絶対に日本に入れない体制を作ろうと決意したのだ。中国の協力工場はキャブの傘下ではなく、あくまで取引先。だから、キャブの製品を作っている隣のラインで、競合メーカーの製品を作っている光景は日常的だ。同じ工場で作られた製品であっても品質において差別化を図れているのは、キャブではQC(品質管理)担当者を工場へ派遣し、出荷前に抜き取り検品を行っているからだ。プリンタブル業界で、自社で独自の品質管理部隊を持つ会社は他にない。品質を維持するために、しかるべきコストをかける。その姿勢が、顧客からの信頼を生み、キャブの強みになっているのだ。

より強固な生産背景を作るために。
現地スタッフに直接指示を出す森。本音を言えば、品質管理が海外に行かなくても商品が上がるのが理想だが、文化の違う中でものづくりをしている以上、大なり小なりトラブルは付き物。現地へ行って、時間を使って話すことで分かり合うことが、いい製品への第一歩。

より強固な生産背景を作るために。

 現在、キャブでは、中国のほか、ベトナム、ミャンマー、インドネシアなどのASEAN諸国、バングラディシュの協力工場にて生産を行っている。東南アジアへの生産シフトを、社内で最初に提言したのは、企画生産統括部 企画開発グループ 森飛雄馬。中国以外にも生産拠点を持ち、リスクの低減と分散を図る「チャイナ・プラス・ワン」が叫ばれ始めた2005年頃のことだった。
 2008年頃から、商社や繊維メーカーの紹介や、海外の展示会でコンタクトを取った現地コーディネーターへ連絡を取り、東南アジアで次々と生産拠点を開拓した。繊維産業の長い歴史を持つ中国では2~3ヶ月で生産に取りかかれるところ、文化も商習慣も異なる東南アジアでは、生産開始に持っていくまで1年近くかかることもざらだった。それでも、年を追うごとに人件費が上がり続ける中国だけでは低価格の実現は難しく、東南アジアの力を借りなくてはならない。

 そして現在、キャブの生産管理が掲げる大きなテーマが、バングラディシュでの安定生産である。この先5~10年は人件費の変化が少ないだろうと予想はしているが、未だ政治は安定しておらず、また様々なリスクを伴うため、状況を冷静に判断しながら運用していくことになる。アパレルのような労働集約型産業は人件費の影響が大きいため、先進国より開発途上国、都市より地方での生産が必至だ。キャブは海外生産を行ってきた約15年、常に世界の変化に対応してきた。吉村、森をはじめとする企画、品質管理部隊は、これからも情報収集とサプライヤーの開拓を続けていく。

ゼロからの販路開拓。C.A.B., History of Challenging

初めてづくしの大型受注。

 数年前まで、キャブでは広告代理店や印刷会社などのセールスプロモーション分野での取引はほとんどなかった。セールスプロモーション案件では、Tシャツにブランドや広告をプリントする。無地ボディの供給をメインにしていたキャブより、プリントも含めたワンストップサービスを展開している競合が強い分野だった。無地ボディの供給だけでは販路に限界を感じていた東日本営業部の川瀬伸城は、セールスプロモーション分野への新規開拓に挑戦し始めた。まずは国内の在庫を、国内でプリントする実績を作り、プリントも含めた受注体制を徐々に構築していった。また、セールスプロモーション企業の新規開拓のために、見積もりを依頼されたら10分以内に対応したり、サンプル請求にも即日対応するなど、他社よりも早いレスポンスを心がけ、信頼を積み重ねていった。

 そして、大きなチャンスが巡ってきた。1度は他社に発注した世界的に有名なタバコのセールスプロモーション案件のTシャツ生産が間に合わないと、川瀬に相談があったのだ。1ヶ月で15万枚を納めてくれというオーダー。しかも、キャブの在庫ボディではなく、顧客のオーダーに一から個別対応する別注案件だった。納期、ボリューム、内容すべてがキャブでは前例のない大型案件。今までの生産体制では不安があったが、タイミングよく、企画生産の奥田が新規のサプライヤーを見つけていた。初取引で大口の発注という怖さはあったが、やるしかない。さらにTシャツを指定の紙パッケージに収める工程もあり、初めてづくしの挑戦だった。また、この案件のブランドは、特徴的なコーポレートカラーを持っていて、色味を再現するため何度もサンプルを出した。川瀬は奥田と交互に中国へ飛び、何度も確認作業を行い、納品までの1ヶ月間はプレッシャーで眠れない日々が続いた。
 努力のかいあり、無事納品。さらに、お客様から年間最優秀取引会社として表彰していただくことができた。

初めてづくしの大型受注。
キャブは川瀬にとって社会に出て3社目の会社。「飽き性の僕が8年も同じ会社にいるのは、新しいことを提案したい時に『やってみればいいじゃん』と任せてもらえる環境があるからだと思う」

進化を続けるために、新しい挑戦は続く。

 初めての大型案件は苦労続きだったが、おかげで短納期に対応できるサプライヤーとの協力体制もでき、その実績を元に新たな営業を仕掛けることができた。大手芸能事務所の音楽物販など大きな仕事を次々と任せていただけるようになり、今では1枚300~400円のTシャツで、年間1億円以上の取引をしている会社もある。川瀬の挑戦が、会社としての対応力を底上げする結果となったのだ。
 川瀬は今、新しいビジネスモデルを模索している。新規のアプローチをかける中で、現在のキャブの営業品目ではお応えできないケースがあるからだ。今までのやり方やボディメーカーという事業形態にこだわらず、新しいコンテンツを提案する。キャブはこれからも、時代の変化に合わせて進化を続けていく。

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