Tシャツの歴史①
-発祥からファッションアイテムとしての確立まで-

今や私たちの日常と切っても切れない存在となったTシャツ。
実は、現在のようにファッションアイテムとして着用するようになったのは約50年も前のことでした。
そんな「誰もが一枚は持っている」と言っても過言ではないTシャツの歴史を少し紐解いていきます。

Tシャツの起源 -軍隊から発祥、アンダーウェア・アスレチックウェアとして発展-

「Tシャツと言えばアメリカ」というイメージが強い方も少なくないですが、その発祥について実は19世紀のヨーロッパとも言われています(諸説あり)。
第一次世界大戦中の1912年頃、アメリカ海軍で支給されていた制服はウール素材でできており、分厚くて重い、夏の暑さにはまったく適していないものでした。
一方、ヨーロッパ兵の制服は、綿素材のアンダーウェア(肌着)を着用しており、夏を快適に過ごしていました。
これを真似てアメリカ兵が作った綿シャツが今日のTシャツの原型といわれています。
もちろん、当初の用途は純然たる肌着。アウターとしての役割はまだまだ微塵もなかったのです。

また、1912年に開催されたストックホルムオリンピックにおいて、アメリカの陸上選手が現在とほとんど変わらないTシャツのようなアスレチックウェアを着用している資料も残っています。
国の威信をかけた戦いには当時の最新技術が導入された過去を振り返ると、この事実は、常に最先端技術を求めたミリタリーの世界の技術を用いて、国を代表するトップアスリート用に「最新のアスレチックウェア」としてTシャツが作られたということを想像させます。

1920年代前半、現在では世界的に有名となったカットソーメーカーにより“アンダーウェア”としてのTシャツが普及されるようになります。
当時のアメリカでは、アンダーウェアといえばコットン素材でやや薄手、平織り素材の“キャラコ”と呼ばれる伸縮性のない生地を使用した、手首から足首までを覆うスーツタイプのものが主流でした。
しかし、同社が野外労働者用に販売していたTシャツなどが、アメリカ軍アカデミーの訓練用ウェアとして採用されたことにより、1920年代半ば以降には綿素材のTシャツがアスレチックウェアと同じくアンダーウェアとしても当時のカタログに掲載され広まりました。

現在のものとほとんど変わらない質感のコットンTシャツが大衆に広まったのは1930年代になってからのことです。
戦争から帰還した兵士たちが着用していたスポーツシャツ(ポロシャツのようなボタンホールと短い袖、伸縮性のある縫い縁)を当時の下着製造会社がアスレチックウェアやカジュアルなアウターとして、また下着としても着用できる実用的なウェアとして売りはじめました。
これらはアンダーウェアとして特に労働者階級の人たちの間で着用されるようになりました。綿素材・天竺生地の肌触りと、伸縮性・吸水性に優れたTシャツは、当時、急速に広まっていったのです。

1940年代前半、アメリカ海軍は丸首で綿100%、Tの形をした新しいスタイルのシャツを隊員に支給。
それらは戦争などの極限状態で防塵(ぼうじん)・防煙マスク、帽子、必要であれば白旗と、数多くの目的を果たすことができる万能シャツとして着用されました。
戦時中や戦後のTシャツを着用した海兵のイメージは、Tシャツと英雄的な男らしさを大衆に結びつけました。

1940年代後半には、戦時中は軍隊の象徴とされていたTシャツが、戦後、国家の要人から一般人まで社会の階層を問わず「アメリカの解放」をもたらす民主主義のシンボルとして定着していきました。

このころのTシャツがのちにベーシックでリーズナブルなアンダーウェアとして不動の地位を確立し、現在、私たちにとって馴染み深いTシャツへと姿を変えていくのです。

Tシャツの普及 -メッセージを発信するキャンバスからアウターとしてのTシャツへ-

いくらTシャツが大衆に認知され始めたとはいえ、厳格で伝統が重んじられていた当時のアメリカではTシャツはジーンズとならんで「労働者たちのユニフォーム」でした。
欧米では1950年代くらいまで、外で肌を露出することはマナー違反であると認識されていたことも時勢を後押ししました。

しかし1950年代、当時ハリウッドで頭角を現し始めていた若手俳優により、役柄の反抗精神を表現するためのアイテムとしてTシャツが起用されたことをきっかけに「反逆の象徴」としてTシャツがブームになります。
この時すでに、Tシャツが下着であるという概念を持つことはなくなり、ビジネスシーン以外でそのまま着用できるアウターとして、男性のワードローブに加わっていきました。
当時のスターたちのスタイルや作品、主張とともにTシャツは非常に大きな影響力を持った一つのメディアとしての地位も確立していきました。

1960年代に入り、Tシャツは初めて選挙運動の道具として使用されました。
環境保全や人権擁護、あるいは鯨の保護など、Tシャツはただの綿の服から個人的かつ機動的な広告塔へと役割を変えていきます。
Tシャツはインナーからアウターへと進化するプロセスの中で、政治的、広告的、芸術的、そしてユーモアのメッセージを発信するキャンバスとなり、既存の宣伝方法に台頭していきました。

当時、法外なまでにコストがつりあがった広告という手段を用いてアピールしていた大企業のイメージを、Tシャツは低コストで広め、評判を上げるというありがたい存在になりました。
特にさまざまな法によって宣伝活動を規制されているタバコやアルコール飲料ブランドは、Tシャツをバーやクラブ内で従業員に着てもらうなどの方法を取ったのです。
60年代に発達した印刷技術が生み出した「シルクスクリーン印刷」により、Tシャツにプリントすることが容易になったことも、これらのことを後押ししました。

1970年代にはスーベニアTシャツが徐々に浸透していきます。
1977年、当時のヒッピー文化の象徴のひとつである「プリントTシャツ」のベースボディが発売されました。
このTシャツは、ヒッピーたちからインスピレーションを得て開発されたため、プリントや後染めをして楽しむ彼らのニーズを叶えるべく、加工に耐えうる頑丈なボディとして販売されました。
まさに「アウターTシャツ」の先駆けとなったのです。

このような流れから、Tシャツは「メッセージを発信する道具」から「商業アイテム」へと役割を広げていきました。
後に英雄の肖像をプリントしたTシャツ、ユニフォームTシャツ、グループTシャツ、環境問題などの活動用Tシャツやスポーツ分野のチームTシャツ、またアパレルブランドのTシャツなど、数えるに余りある用途としてTシャツが利用されるようになり、プリント用ボディとしてのビジネスモデルも生まれることとなります。
こうしてアメリカにおいてTシャツは人々のライフスタイルに定着していきました。

アート・ファッションとしてのTシャツ -不動の地位を確立-

現代アートはTシャツによって大きく発展したと言っては言いすぎでしょうか。

1970年代アーティストたちはこぞってTシャツを作品発表の道具として使い始めることとなります。
多くのアーティストとTシャツは自然と手を組むことになり、美術館などでも販売され、大きなマーケットとなりました。
必然的にマーケットとアートという付加価値を得たTシャツは、ファッションブランド業界でも彼らアーティストたちを起用することが新しい常識となっていったのです。

ファッションの世界では、Tシャツはストリートで受け入れられ、様々なデザイナーズブランドがTシャツを発表するようになっていました。
また他方では既製服メーカーでも様々な色やデザインのTシャツを製造するまでに普及していたのです。

1970年代前半、ヒッピーたちによる「ラブ&ピース運動」や後半のパンクムーブメントなど、自由を求める思想とTシャツが見事にマッチし、それまでメンズファッションとして捉えられていたTシャツを多くの女性が着こなすようになりました。

1980年代に入ると、パンクファッションのブームがさらに加速します。
有名ブランドのパンクTシャツの拡がりに始まり、音楽や思想を背景にパンクファッションを確立、ロックアーティストたちがTシャツを自分たちのスタイルとして着用するきっかけとなりました。

1990年代では80年代で興った様々な変化が融合されていきます。
これまで主にカジュアルとして着用されてきたTシャツをスーツに合わせるという新しいスタイルにまで拡張し、ミニマル・ファッションとてして誕生しました。
また、有名デザイナーらの提案によるカジュアルフライデーの普及もあり、Tシャツがビジネスシーンでも許されるようになりました。
こうして、ラグジュアリーTシャツとして数多くのデザイナーが自分たちの個性をこぞってコレクションで発表するようにまでなったのです。

1912年ころから1990年代までの長きにわたってTシャツは時代に合わせた役割を担い、少しずつ素材やデザインを変え、人々の生活に浸透していきました。
今では何気なく着ているTシャツも、その歴史を紐解いてみると、その時代の出来事と密接に繋がっていて人々の生活に少しずつ浸透していったことが分かります。
現在のTシャツの在り様を作り上げたのは、先人たちの想いや使い手の声であったりするわけですね。

次回はわが国日本にフォーカスしてTシャツの歴史をお届けします。

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